山形市内には「銅町」「鋳物町」という地名があり、それぞれの名前が示す通り鋳物の産地を形成しています。山形市内を流れる馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)の砂と千歳公園付近の土質が鋳物の型に適していたことがその起源となり、およそ900年前から続いています。
その特徴は、肉厚が薄く、鋳肌も美しい「薄肉美麗」と呼ばれて全国に広まっていきました。ほかの産地に比べて薄く作る技術が高いことで知られていますが、これは、材料である鉄が採れず他から仕入れていたために、材料を少しでも無駄にしないという努力の末に生まれた必然の技術です。
ほかにも、アルミ、銅などの素材毎に業種があり、鉄瓶や茶の湯釜といった伝統的工芸品はもちろん、花器や鍋など生活用品、ドアハンドルや新幹線の座席部分などの工業製品も数多く製造されています。
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今回取材したのは、昭和27年より山形鋳物に伝わる伝統技術を用いて鉄瓶や茶の湯釜を製造している「長文堂」です。鋳物町に工房を構え、3代目の長谷川光昭さん(33)が、2代目であるお父さんから学びながら、伝統の技を継承しています。
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長谷川さんは、大学では情報デザインを専攻し、ブランディングや商品企画などを学びました。そんな長谷川さんが、卒業制作のテーマとして選んだのが家業でもある鋳物のブランディングでした。山形の秋の名物「芋煮」に使う鍋を新しくデザインし、実物を制作したことで、初めて鋳物の現場に触れ、つくっていく中で、ものづくりの難しさ、出来上がった際の喜びを知り、家業を継ぐきっかけになったそうです。
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NIPPON VISIONで紹介している「なつめ鉄瓶」はおじいさんの代につくられました。お茶の席で抹茶を入れる棗(なつめ)の形をとりいれたふくよかな鉄瓶は、装飾もなくシンプルですが、はじめのころは梅の模様が本体に施されていました。使い手の無地ものが欲しいという要望に応えて現在の形になりましたが、ふたのつまみには名残があり、梅の形になっています。 |
鉄瓶をつくるには100にものぼる作業工程があり、もちろんその一つもおろそかにはできません。「まだ7割くらいかな」と自分の習熟度を謙遜する長谷川さんですが、最近は鉄瓶が完成した喜びよりも、思わぬところでおじいさんやお父さんがつくった、使いこまれた鉄瓶と出会い、使っている人が「お宅の鉄瓶ずっと使ってるんだよ。」と言ってくれるのが何よりもうれしいといいます。「これからも鉄瓶をつくり続けて、これまで鉄瓶を手にしたことのない若い人たちにも使ってもらいたい」と話す長谷川さんのまなざしは真剣です。
最近は百貨店の物産展などにも参加し、使い手と話す機会も増え、屈託のない笑顔と、暖かい山形弁が人気です。「来年もくるんでしょ?」「去年買えなかったから今年も来てくれてよかった〜」と知った顔も増えてきています。若いのに作務衣がとても似合います。
自然の材料を使い、再利用など理にかなった工程でつくられている鉄瓶。確かにお湯を沸かす道具として考えると、ヤカンに比べれば高いものです。しかし昔から、水の中の不純物を取り除き、鉄分の補給にもなり、そのお湯で入れたお茶は、鉄分とタンニンが反応して美味しくなるとして、生活の中で使われてきました。また、一度手にしてしまえば孫の代まで使うことができます、割れませんから。 |
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お湯を沸かし使い切って乾かす、基本的にはこれだけです。内側を洗う必要はありません。だんだんと湯垢(ゆあか)が内側についてきて、これが水の中の不純物を取り除く役目を果たします。
錆びも出てきますが、ほとんどがそのまま使い続けてよい錆で、お湯にその味が出なければ大丈夫です。錆の味がしたら、茶殻を入れて煮立ててください。だんだん落ち着いていきます。 |
いまは、ボタン一つでいろんなことができてしまう生活です、確かにその便利さを知ってしまったら、いくら良いものでも、手間がかかるものはなかなか使えないかもしれません、でも、気持ちを込めて手間をかけた時間が、一杯のお茶をおいしくしてくれることは間違いありません。自分の使う道具を育てることを楽しんでみませんか?
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鉄瓶の工程は100にものぼり、その一つ一つが地味な作業です。
ここでは簡単に鉄瓶の制作工程を紹介します。 |
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